ホイジンガとカイヨワ、読んでいます。

ホイジンガとカイヨワ、読んでいます。


カイヨワ『遊びと人間』の一節なんか、
しびれますぜ。だんな


これは疑いを容れないことだが、
遊びは自由で自発的な活動、
喜びと楽しさの源泉として定義されるべきである。
参加を強要されたと感じる遊びは、
たちまち遊びではなくなるであろう。
それはおそらく束縛となり苦役となる。
・・・
いや人に勧められただけで、
遊びはその根本的な特徴の一つを失う。
遊戯者がそれに熱中するのは、
自発的に、まったく自分の意志によってであり、
快楽のためである。
・・・
遊戯者がやめたいと思うときは、
「もうやーめた」といって、
立ち去る自由を持つことが何よりも必要である。
(pp.34-35)

格好いいぜ。
カイヨワ。


大学の仕事はそれだけではもちろんすみませんが、
ただ研究は、「遊び」と通じています。
何より観光や現代文化なんかは
「遊び」そのものだと思うのです。
そして、まちづくりもまた、
私にとっては、ホイジンガ的、
あるいはカイヨワ的な意味に近い「遊び」なのです
(つまり、「遊戯者がやめたいと思うときは、
『もうやーめた』といって、
立ち去る自由を持つ」のです)。