“あなた”からのギフトとしての“私”。
前回の「社会学」で『私の頭の中の消しゴム』を
取り上げながら、自我について考えてみましたが、
学生さんからの振り返りにかなり考えさせられるものがありました。
自分の記憶がなくなったとしても、
人が私のことを覚えていてくれたら、
“私”は存在すると思いました。
私らしさ、自分らしさは、相手からにじみだし、
その相手の分だけ私らしくいられると思いました。
- 出版社/メーカー: ジェネオン エンタテインメント
- 発売日: 2009/07/08
- メディア: DVD
- 購入: 4人 クリック: 134回
- この商品を含むブログ (37件) を見る
「社会学」を受講された学生さんのこの振り返りを読んで、
すごく良い言葉だと思いました。
“私”とは、私を覚えていてくれる
“あなた”からの贈り物、
“あなた”からのギフトなのかもしれません。
「私とは、私とあなたとの間の交通(やりとり)に
生成する(生まれる)存在だ」と
つねづね社会学で言っていますが、
それをきちんとつきつめるなら、
自分が自分のことを忘れたとしても、
あなたからにじみだしてくるようにして、
あなたからのギフトとしての“私”が贈られてくるのではないでしょうか。
主体性もそうです。
“主体性”とは、“主体性”から遠く離れたところで
君から贈られてくるギフトなのかもしれません。
学生さんから教わることはまだまだたくさんあるな。
だから講義は面白い。