希望への賭け(jeu)。

あなたと語り、あなたの言葉を聞き、
あなたの心にふれる。


そこには、真善美というイデアや、
確固たる正義など、ないのかもしれません。
散歩の途中で、あなたが遅れるたびに何度も振り返り、
結局は木漏れ日の中、手をつなぐはめになる、
そんな何気ないけれど、だからこそかけがえのない風景の中で
あなたに語りかけ、あなたの言葉を聞き、あなたのこころにふれるという
プロセスだけがそこにある。
ただ、それだけなのかもしれないのです。
でも、もしそうであっても、それをニーチェのように、
歓びをもって受け容れることができれば、
少なくても、それは「希望」へと繋がっていくように思うのです。
そうしたプロセスのなかで、ベルクソンの言うように、
“私”という体験も生成するのではないでしょうか。



逆にそれ以外に、「希望」はあるでしょうか?
ありもしないような真善美や正義に
「希望」があると私には思えないのです。
それぞれが違う立場から、違う「真実」「正義」を口にして
お互いが譲らないで争い合うのだとすれば、なおさらです。


こうした考え方を最近、私は、ジュリア・クリステヴァのひそみに倣い、
ダイアローグ主義
と呼び始めています。



さらに言えば、オープンで自由なダイアローグ(すなわち希望)を萌(きざ)し、
ドライブするものが、遊びなのではないでしょうか?
ということは、観光、アニメ、音楽などを含め
遊びとは「希望への賭け」なのです。

(遊びはフランス語で「jeu」で、賭けの意味もあります)



この本の「社会構想と観光」もぜひご一読下さい。


よくわかる観光社会学 (やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)

よくわかる観光社会学 (やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)



今日、注文して、届くのが無茶苦茶楽しみな本。