「観光」とは何でしょうか?

「観光」とは何でしょうか?


観光/観光でないもの、いったい、
これを区分するのは誰がするのでしょうか?


研究者でしょうか?
それとも、観光客でしょうか?
地域住民でしょうか?
観光産業にかかわる人びとでしょうか?



絶対的審級の立場から
研究者が観光と観光でないものを
定義という学問的手続きの力を借りて「客観的に区分する」というのは、
「観光」とは何かという問いかけに
ラディカルに答えていることにはなっていないのではないか。
そんな気がしてきました。
それは結局、学問的な手続きの「立場の違い」なるものに解消されるだけです。



そうではなく、観光/観光でないもの、
その区分そのものが社会的に構築され、生成する
その生成のプロセスこそ考えるべきではないでしょうか。



その点でも、奈良県立大学のS先生が
近代史の中で展開されておられるお仕事は、
とても重要なものだと思います。



観光/観光でないもの、これを研究者の手続き論に解消してしまうのではなく、
マグマのように流動する社会的なプロセスの中へと投げ返し、問い直すこと。



たとえば、ショッピングを観光に含めるかどうかは定義の問題ではなく、
ショッピングというものがもつ社会的力学と
観光というものがもつ社会的力学が重なり合う瞬間を
ふまえなければ考察できないことではないでしょうか?



ショッピングが
ある種の顕示的かつ記号的な消費の在り方として成立したとき、
その在り方が観光の社会的力学と共鳴し合いつつ、
ショッピングを内包するような「観光」が
その瞬間、生成されてきたように思うのです。



これらのことを問う際には、
「社会なるもの」「観光なるもの」「地域なるもの」「日本なるもの」
そうしたことすべてを前提としないことが重要かもしれません。