他でもありうることを考える。
関学の往復の電車の中で、
佐藤俊樹『意味とシステム――ルーマンをめぐる理論社会学的探究』(勁草書房)
を読んでいました。
- 作者: 佐藤俊樹
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2008/10/22
- メディア: 単行本
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その冒頭部分に、こういう記述があります。
この部分は何度か読んで、
とても好きなところです。
あなたはいつから「他でもありうること」を考えているのですか。そう訊かれたとき、ニコラス・ルーマンは次のように答えたという。
「中等学校の私たちの学年は、一九四五年には国防軍に召集されていました。私は仲間の兵士といっしょに、Yという橋の上にいました。四本の腕に、二門の対戦車砲をもって。それから、しゅっと音がして、ふり返ると――そこには仲間も死体もありませんでした。何一つ。そのときからです、私が他でもありうること Knotingenz を考えているのは」
最近、自分自身が社会学を展開しようとするときでも、
このあたりが、ポイント、少なくともその一つには
なっているように思います。
昨日の地域創造学概論では、
阪神・淡路大震災のお話から始めましたが、
「あのとき、つぶれた部屋に寝ていなかったのは、何だったのか?」
「前日いつも点けて寝ていたストーブを消したのは、どういうことか?」
「なぜ私がここにあり得ているのか?」を
どこかで自分に問いかけていたように感じます。
社会学で恋愛をテーマに話したときもそうです。
KinKi Kidsの曲のようですが、
星の数ほどいる人の中で、
なぜ私はあなただけを見つめ続けているのか?
あなたを見つけた偶然は、他の人を見つける偶然でもあり得たとすれば、
あなたを見つけたことはどういう事態なのか?
次回の家族をテーマとするときにも、
そういう議論が重要になると考えています。
家族/家族でないもの、これは、
選択可能な、他でもあり得たものが
唯一無二の、かけがえのない(他ではあり得ない)存在へ変わる
という議論と関連するのかもしれません。
本日、購入した本。
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