先週に続いて、東京に出張。

先週に続いて、東京に出張でした。


霞ケ関で2時間ほど会議をして、
またとんぼ返りで、新幹線に飛び乗りました。
会議以外は、今日はほとんど新幹線の中で過ごした感じです。



往復の電車の中で思いついたこと。


サルトルは、まなざす他者こそが地獄なのだと述べているが、
観光では見てもらってはじめて
地域の価値が出てくるのなら、
「他者によるまなざしの地獄」によって即自存在となることこそ
観光では“あえて”選択されるべきものとなっているのではないだろうか。
そして、それが地域にとって喜ぶべき(天国のような)状態となっているのではないだろうか。


存在と無〈1〉現象学的存在論の試み (ちくま学芸文庫)

存在と無〈1〉現象学的存在論の試み (ちくま学芸文庫)


サルトル―回帰する唯物論

サルトル―回帰する唯物論



「他者によるまなざしの地獄」の商品化、
そして商品化された「まなざしの地獄」による地獄の天国化。



さらに言えば、そこからの逸れていくための回路として、
やはりまた“他者”が浮上するのではないでしょうか。


“あなた”が私を見る暖かなまなざし。
“私”があなたを見る暖かなまなざし。
もし他者からのまなざしによる地獄から抜け出し得るとすれば、
「“あなた”から(へ)の暖かなまなざし」だけが唯一の可能性ではないのか。
そして“あなた”と出会うことができるのは、
これも他ならぬ、観光をはじめとする「遊び」の戯れの中であるということ。


クールに見えながら、人の暖かさを
無茶苦茶、根源的に信じてしまっているのは
私なのかもしれません。



テレビドラマで、最近『JIN-仁-』が終わって残念な気分なので、この曲を。