もっと怯え、慄くべき地域創造。

「まちづくり」において最近思うこと。


それは、人を巻き込むことの暴力性に
まちづくりをする人は、
もっと、もっと怯えるべきだということです。



あることを企図して「まちづくり」をするとして、
でも、それは、結局はやはり、自分(たち)の想いや価値観を
実現しようとするエゴイスティックなことでしかない、
そこに人を巻き込むことが、どれほど暴力的であるのか、
そして、それをおして、あえて人を巻き込むことが果たして必要なのか、
「まちづくり」(観光まちづくりも含めて)をする人は、そうしたことを
もっと、もっと、もっと怯え、慄き、畏怖し、
立ち止まり、考えるべきではないのでしょうか?
自分自身の体験から、そう思います。



地域創造とは、人がそう生きたいと思っていないときでも
そこに人を巻き込んでしまうのです。
その意味で、地域創造は、とても大事なことかもしれませんが、
同時にとても怖いことなのではないでしょうか?
ここでも大事なのは、自分(たち)ではなく、
他者性の問題であると思うのです。