擬態した遊び。

最近、社会に「遊び」がないと思っていましたが、
実はそうではなく、
「社会に『遊び』がない」ように演出する
このことを楽しむという、
「擬態した遊び」「ねじれた遊び」
(これを「遊び」とは言いたくはありませんが)
が社会的に目立ち始めているのかもしれません。



そして、そんな「擬態した遊び」「ねじれた遊び」ほど、
正義をかざし真面目ぶった振舞い方を好み、
何かあるとすぐに他者に怒りを向け、
おだやかで、おどけ、はじけるような笑顔を嫌うような気がします。



このことは、現代社会論として、
もう少ししっかりとよく
考えてみても良いかもしれません。



というわけで、この曲を。