オリジナルなバイアスやスタイルをもった講義方法について。

サンデルの白熱講義、
一時、とても一部の人たちの間で
盛り上がっていましたが、
このときに非常に重要なポイントが
忘れられていたのではないでしょうか。



これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)



それは、サンデルの講義方法は、
実はサンデルの研究者や教育者としての
オリジナルなバイアス(バイアスは誰にでもあるものです)と
切り離せないものであるということです。
たとえば、彼のコミュニタリアンとしての考え方と
非常に密着したものであるのではないでしょうか。




もしリベラリストロールズや、
リバタリアニストのノージックなら、
あの白熱講義はくすぐったくて、
しないのではないでしょうか(分かりませんけど)?



ということは、彼の講義方法は、
実はその人と密接に結び付いたスタイルであって、
その人と密接に結び付いたスタイルであるからこそ、
その講義方法は学生たちの何かを
たくさん引き出すことができたということではないでしょうか。




いま大学の講義でもう一度、
よく考え直すべきは、もしかすると、
この点かもしれません。




つまり今、私たちは講義方法を、
「同じように高品質な人をつくりだすために
皆ができる工程」みたいに
考えているのではないかということです。



そうではなく、講義方法とは、
人(教員)と人(学生)の
オリジナルなバイアスやスタイルが、
出会い、スパークし、影響を与え合い、
時には反発し、でもやっぱり大事に思い話し合う、
そんなものである
ように考えるべきではないでしょうか。



「受け身な講義が多い」とか、
「中途半端な専門を教えている」とか、
そんな形骸化した議論ではなく、
もう少し、そこのところを
議論していくべきときだと思うのです。




http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120826-00000063-san-soci