「弱いことの強さ」の「素晴らしさ」。

「強い〇〇を取り戻す」的な言説が
増えているような気がしますが、
そこには「強い=良い」という図式が
無前提に「当たり前」のようにあるような気がします。



でも、どうして「強い=良い」なのでしょう?



「弱い」ということの素晴らしさもあるのでは?
というよりも、
「弱いことの強さ」の「素晴らしさ」みたいなものも、
私たちはもっと考えるべきではないのかなあと思ったりします。



というわけで、最近、購入した本。



透明なる社会 (イタリア現代思想)

透明なる社会 (イタリア現代思想)