「リア充/非リア充」の向こう側。

だから、リア充と非リア充は等価だって。


恋愛をめぐるリア充について言えば、
誰かを愛するということは、
ただまさに「その人を愛すること」に他なりません。


恋愛が自らのアイデンティティ
生きる意味を確認する
<手段>になっている「リア充」は、
「その人のことを愛している」
すなわち「リアルが充溢している」と言えるのでしょうか?


それは、ただ
「自分自身のことを愛している」ことに
なっていないでしょうか?


恋愛が単に自らのアイデンティティ
生きる意味を確認する<手段>に過ぎないのなら、
それは、リアルが空虚であるからこそ
浮かび上がった選択肢となっているように思います。


リア充」と「非リア充」は、
リアルが空虚な時代における
「機能的に等価であるもの」のような気がしてなりません。


さらにもう少し言えば、
リア充/非リア充」という区別を超えた、
向こう側に、私たちの希望や愛や夢が
存在しているように思うのです。