立命館大学で研究フォーラム。

立命館大学で研究フォーラムです。
テーマは「ライフデザインと福祉(Well-Being)の人類学」です。


現在、民族博物館の共同研究員になっていますので、
その関係のフォーラムです。


 社会の少子高齢化という現状認識のもとで、援助を必要とする人々への支援の基盤となる財源や人材の確保をはじめとして、ケアや介護への関心が益々高まっている。とはいえ、普遍的現実としての老化や、ライフステージにおいて様々な不調を経験する人々の日常を考えるならば、配慮や気遣いという意味でのケアは誰もが必要とする要素であろう。すべての人々に関わることがらとしてのケアを考えるにあたっては、「ウェルビーイングwell-being」(良き生活・心地よさ)や生活の質(QOL)を検討する視点が不可欠である。ここでは「ウェルフェアwelfare」とともに「福祉」と訳されてきた「ウェルビーイング」という語に注目し、一方的な支援に留まらない双方向活動としての「福祉」のありかたについて考えたい。それは、人々の願いや希望の多様性を探りその実現に必要な要素を見出すことでもある。年代や状況によって固定化された暮らし方を問い直すことは、その手がかりを与えると思われる。
 本フォーラムでは、ケアの場として設定されてきた学校や高齢者の生活の場など、国内外の具体的な空間に焦点をあてる。近代化過程において、人々の活動やその場は限定され専門的に整備される傾向がみられたが、ここでは、オルタナティヴとして行われてきた実践に注目し、人々のウェルビーイングを構成する要素を問い直しそれを実現する活動の工夫が、一方向的な支援活動に留まらずより重層的な場の形成に展開する様相を検討する。


セッションⅠ 「人にやさしい社会の創生に向けて―大学からの情報発信と人材育成」
「大学アクセシビリティセンターにおける活動の展開」
「被災から復興におけるボランティア活動の変化−震災資料収集と情報発信を中心に」
本セッションでは、多機能空間としての大学について検討する。大学における支援活動の拠点で、弱者や被災者のみならず、すべての人々のニーズやアクセシビリティに関する情報が次第に蓄積され、 重層的継続的に活用されてゆく経緯を報告する。人々のニーズとして模索されてきた双方向的ケアが、 拠点における企画立案に展開し、大学をコミュニティに開き繋げてゆく過程について議論する。


セッションⅡ 「多文化社会における高齢者のクォリティ・オブ・ライフ」
多文化主義カナダの高齢者集合住居とアウトリーチ
「中国系老人総合施設イーホンセンターにおける継続的ケアと文化的背景への配慮」
本セッションでは、多機能空間としての高齢者対象施設について検討する。多文化社会カナダで、閉鎖的になりがちなエスニック高齢者集合住居において、外部との交流や異なる文化的背景の人々の入居が可能となるよう行われてきた、日系および中国系の施設を拠点とした協働の試みを報告する。とくにカナダにおいて施設間協働の際に重視される「アウトリーチ」の役割について議論する。


セッションⅢ 「高齢者のウェルビーイングから地域コミュニティのデザインへ」
「産業型福祉−高齢者を担い手とする産業の創出と町のデザイン」
「多文化都市モントリオールにおけるマギル大学の高齢者学習グループの展開」
本セッションでは、高齢者が求める多様なウェルビーイングとその展開について検討する。高齢者が望む多様な活動を充足するために工夫された支援が、高齢者やコミュニティの他の年代の人々の交流状況や生活を変化させてゆく様相を報告する。高齢者が求めるウェルビーイングを実現するための空間開発や産業振興に関わる工夫・調整の積み重ねが、人々の交流のありかたを含め地域コミュニティを変化させてゆく可能性について議論を深める。


セッションⅣ 「技術と障害者から始まるコミュニティ・デザイン」
「スペースALS-D−介護×ダンス×建築」
「難病患者の遠隔地間対面コミュニケーションと技術ピアサポート
「重度重複障害者の日中活動と工学部学生の福祉ものづくり」
本セッションでは、双方向的ケアを可能とするシステム開発の現場に集う人々の活動について検討する。支援を必要とする人々の声を生かし、適合的な技術を構想する作業を、障害をもつ人々、学生、研究者が協同で行ってきた経緯を報告する。暮らしの場のウェルビーイングに関わる具体的なモノや方法の開発に関わる学生たちの学外活動が、街づくりに繋がる交流を生み出してゆく状況について議論する。


セッションⅤ 「オルタナティブ教育とライフデザイン」
「『試験のない学校』−デンマークのフォルケホイスコーレに集う人々」
オルタナティブ教育と時のデザイン−現代アメリカにおけるアーミッシュという生き方」
本セッションでは、ウェルビーイングの把握と「教育」の意味を検討する。誰もが、立ち止まって考え学ぶことができる場として設定されたデンマークの特徴的な民衆学校や、公的高等教育ではなくアーミッシュの親たちが手作りするワンルームスクールを重視するオルタナティブ教育の実践について報告する。ライフサイクルにおける多様な時の過ごし方を可能とする空間の可能性について議論する。


 発表と議論を通して、とくに以下の点を皆で検討したい。


 いかなる状態で何処にいても人々が囲いこまれることなく交流できる方法を開発することが、一方向的ではない「ケア=配慮・気づかい」の空間を確保することに繋がるのではないか。


 こうしたケア空間ひいてはコミュニティ構想にあたっては、専門職者とは限らない、すべての「ふつうの人々」が自らの「ウェルビーイング」に思いを馳せ、声を発し、議論・調整に参加することが出発点となろうが、これを可能とする人材やシステムはどのように構想できるか。


 様々な活動に開かれるケア空間は、人々に交流の機会を提供するだけではなく、変化に対応しながら新しい企画を練る基点となって、より広いコミュニティにおける持続的共生を可能とする一要素を構成するのではないか。


 このシンポジウムで得られた知見によって、ケア空間の創出とその柔軟な持続的活用に関する基盤的研究と応用的研究を深化させ、実践・研究の場に関わる人々のさらなる協働に繋げてゆきたいと考えています。

午前6時半に起床し、京都衣笠になる立命館大学に向かい、
午前10時から午後5時半までびっちりと研究会です。






お昼の最後のプログラムで
私はセッションⅢのコメンテーターになっていました。
最近、コメンテーターづいていて、
コメンテーターをさせて頂くのは、
今年に入ってすでに3回目です。


ご発表されておられたのは、
一つは、徳島上勝町の葉っぱビジネスを
たちあげられた「いろどり」代表者の方、
もう一つは、カナダ・マギル大学
高齢者によるピア・ラーニング(peer learning)に
携わっておられる人類学者の方でした。



「いろどり」では、お金の意味について言及させて頂きました。
私たちに生きる社会において、おカネ(貨幣)は、
私たちの欲望を駆動させ、
私たちの社会関係までも変えてしまいます。
しかし、「いろどり」では、
おカネ(貨幣)が社会に参画する窓口としての機能を果たしています。
なかなか、それが面白いと思いました。



マギル大学」のケースでは、教育の意味について言及させて頂きました。
教育とはすべからく、楽しい自己教育である。
これが私の持論ですが、そのことをより明確に意識させて頂きました。



さらに、両者の共通するものとして、
「する−される」「してあげる−してもらう」の
非対称的関係ではなく、
対等な関係性が存在すること、
さらに楽しさによる交流が展開されていること、
この2つについて
私の専門領域である観光社会学に引き寄せて、
挙げさせて頂きました。



どちらも大変、興味深いもので、
うまくコメントしたいと思っていましたが、
司会の方の力量で何とかなったようで、良かったです。



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