クラス分けの原理。

大学で基礎ゼミのクラス分けをする場合などに、
私は個人的には、性別や出身地すべての属性などについて、
クラス分けする人間の作為が入らないよう
完全にランダムに選ぶのが良いと思っています。


しかし、クラス分けについては、
完全にランダムに選ぶと、ほんのわずかな教育経験ですが、
どうもあまり良い結果になったことがないので、
次善の策として、可能な限り多くの属性について、
割当法を用いるのが良いかなと思っています。


それは私にとって、あくまで次善の策ですが、
しかし可能な限り多くの属性について、
母集団と同じ比率にできるだけ近づけるという意味で、
さまざまな属性を等しい比重で扱っており、
私としては許容できるものです。


一番、許容できないものは、
教育理念のロジックなしに、
性別だけに焦点を当てたクラス分け、
出身地だけに焦点を当てたクラス分け、
年齢にだけに焦点を当てたクラス分けなど、
ある特有の(一つでも複数でも)属性に
焦点を当てるやり方です。


たとえば他の属性は母集団と同じ比率で割り当てているのに、
性別だけわざと比率を変える場合には、それは、
本学は性別を他とくらべて意味のある属性だと見なしています
と社会に向けて宣言することに等しいと思っています。
もしそれでも、やるというのもありでしょう。
男子校、女子大学があるくらいですから。
しかし、その場合には、
私はそこに高らかな教育的理念が必要だと考え、
会議などでもそう申し上げています。
(ただし「公立」大学である奈良県立大学
性別を特別に見なすというのは、
私としてはナンセンスだと思っています。
そもそも「男性」「女性」とは何なのでしょう?)



出身地に焦点を当てる場合もそうです。
本学は地域に大きな意味がある
と社会に向けて宣言することに等しいことなのです。
民族、国籍、年齢だってそうです。


奈良県立大学という
日本国で認可されている「公立」大学である以上、
日本「国」や奈良という「地域」に
ある大きな意味があるのは否めません。
しかし、それさえも、どういうかたちで
大きな意味があるのかを
しっかりと考えていくべきでしょう。


また社会人という枠組のもとで
年齢に焦点をあてることはあり得るとしても、
それがどのような意味をもつのか、
その教育理念は何なのか、よく考えるべきでしょう。


すぐに答えのでないものであるかもしれませんが、
ある属性に焦点を当てる場合には、
そのことを一人一人のスタッフが
真剣に考えていくべきではないでしょうか?



公立大学の誕生 ?近代日本の大学と地域?

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教育理念にふれるようなロジックなしに、
一つ、あるいは複数でも
特有の属性に焦点を当てるくらいなら、
可能な範囲で多くの属性を
母集団と同じ比率で割り当てる。
その方がいくらか良いと思うわけです。



ここには、奈良県立大学という「公立」大学の教育理念に
かかわる問題があると思うのです。