わらをもつかむように。

研究者の紡ぐ言葉にいったい
どれほどの力があるというのか。
私の中で、けっこう混乱しています。


この状況で、自らの立ち位置に混乱しない研究者には
絶対なりたくはありませんが、それでも
研究者の言葉にまったく意味がないとは
思いたくありませんし、
実際、そう思いません。
でも、いったい、現在の状況で、
その言葉にどれほどの力があるのか
それこそ言葉にできません。



わらをもつかむように、
ベルクソンの問いを考え続けています。
本当に、わらをもつかむようにです。
言葉を紡いではほどき
ほどいては紡ぎしながら、
坑道でほんのかすかな光を探し当てるようにあがいて、
ベルクソンの問いを社会学研究者として考えています。


われわれは、どこから来たのか?
われわれは、何者なのか?
われわれは、どこへ行くのか?

意識に直接与えられたものについての試論 (ちくま学芸文庫)

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ベルクソン (講談社学術文庫)

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ベルクソンの哲学 (叢書・ウニベルシタス)

ベルクソンの哲学 (叢書・ウニベルシタス)



誰かのことを理解(あるいは誤解)できたなどと
口がさけても言えないにしても、
紡ぎだした言葉がその人の中のどこかで共鳴し、
少しだけでも、ほんのわずかでも、
その人の心が動いたとしたらと
思わずにはいられません。