「観光社会学」の補講でした。

今日は就業力GPの会議が、
午前10時から奈良県立大学でありました。


それが12時くらいに終わり、
午後1時から
京都造形芸術大学のT先生とお会いしました。


その後、「観光社会学」の補講でした。
この補講は私としては、何とかやりたいと思っており、
とても語りたいことがあったものです。


とくに「遊びを軸とした社会構想」の部分を
どうしても学生さんにお話したいと思っておりました。
それができて、本当によかったです。


「観光のコンヴィヴィアリティ」による
「遊びを軸とした社会構想」は、
ユートピアでしかありません。
それは観光のユートピアなのです。


でも「ユートピア(u-topia:どこにも無い-場所)」とは、
あり得ない理想郷という意味ではありません。
ユートピア」、それは、
否定性を通じて「外部へと跳躍する」肯定性なのです。


つまり、ここにないからこそ、幻視すべき大切なもの。
それが、「ユートピア」なのです。


それは、今までこの空間を占めていたはずの
大切な人がいなくなったときに
その人が「いない」ということ、
その人が占めていたはずの「空虚」な空間を通じて、
その人を大切な存在だと今まで以上に幻視してしまうことと
どこかで似ているのかもしれません。
母が亡くなったときに、
そんなことを感じました。
彼女が亡くなって以来、
そばに彼女がいたら、歌にあるように
生きていた頃と同じく、
「相変わらず、暗い、暗い♪」と
踊るように茶化されるのかなあと
彼女の存在を感じるようになりました。





「観光社会学」全体の感想では、


観光を柔軟な発想で、色々な視点から
クールに、かつ熱く見つめることが
とても新鮮で面白かったです。


といったことを書いて下さっており、
とても嬉しく思いました。
ありがとうございました。



「観光社会学」の補講をした後、
またいくつか会議をして、
今日もようやく帰宅しました。
奥さんのもとへ。


この間のゾンビの思考実験で
ひとつ付け加えることがあるとすれば、
奥さんがゾンビになったのなら、
たとえどうしても自分がソンビになりきれないとしても、
奥さんの横にいつも必ずいて
手をつなごうとするということです。